クリーンハンドの原則 ― 2008/04/04 06:06
最近、陪審制の採用を控えて、取り調べの可視化がトレンドとなっているみたいです。欧米では、既に取り調べの全期間を記録して証拠として利用されていることを考えると、遅きに失したとはいえ、やっと、少し、差が縮まってきたのかな?と期待させます。
ただ、聞くところによると、取り調べの一部のみの記録でお茶を濁そうという動きが感じられて、当初の目的であった可視化とは全然異なる結果になりそうで不安ではあります。
この可視化何故必要か?というと、突き詰めると、警察(国家権力)と国民の力関係に行き着くのではないか?というのが、雲の、最近の考えです。警察は、当然、国民の持っていない権利(捜査・逮捕)を持っていますので、もし、警察がその気になれば、冤罪を作り出すことはいとも簡単です。
このようなことを避けるため(国家権力による冤罪を防ぐ意味で)の仕組みとして、陪審制や取り調べの可視化が出てきていると思うのに、その導入意図がうやむやにされているところに、強い危機感を感じます。
なんだか、少し、閉塞感を感じますね。
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