対案とは? ― 2020/05/09 19:33
よく、政府の政策を批判する人に対して、では、対案を出せ。という言葉を見ることがありますが、これ、雲には、ちょっと意味がわかりません。
雲はソフト屋さんなので、ソースコードのレビューで対案(というか改善案)を出すことはありますが、この場合はレビューをする人もされる人も持っている情報は大体同じです。
しかし、政府の政策についてはどうでしょう?政策を検討する人には(立場上)一般の人がアクセスできない情報が入ってきますし、インプットされた情報から必要な施策を考える時間もあります。
しかし、一般の人にそのような前提はあるかというと、当然ありません。もし、政策を批判する人に対して対案を出せ。と言いたいのであれば、政策を考えたときにインプットされた情報と考えるための時間(要はお金ですね)を提供しなければ、フェアではない。
逆に言えば、情報も時間も与えられない人が提案した案の方が優れているのなら、そもそも、元の政策を考えた人はなんなのでしょう?
ということを考えると、対案を出せ。という言葉は説明責任の放棄(政策を考えた背景や理由や根拠を国民=納税者が納得できるように説明することは政策立案者の義務)ではないかと雲は思うのです。皆さんは、どう感じますか?
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